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ミニ氷河期か
地球温暖化論が世界中を席巻していた時期から、やっと氷河期の話がされるようになった。
太陽の黒点が少なくなっていることはずいぶん前から言われている。10年くらい前か。黒点が少なくなると、過去の経験から地球が寒冷化したことが記録として残っている。ロンドンのテムズ川が凍った時代だ。
黒点の減少から、何年後かは平均気温からも寒冷化が見て取れるようになると、黒点の研究者は言っていた。本人も笑いながら、当たったら仮説が証明されるなといった軽い感じであったが、実証されてしまった。
寒冷化は非常に危険な兆候である。
温暖化で危険なのは台風の巨大化や高潮、などであるが、寒冷化で危険なのは、食料の減産ある。多くの飢餓を生む。
飢餓はさらに紛争を助長し、戦争へとつながる。
前回のミニ氷河期は70年続いたとのことだが、困った時代になりそうだ。
食料を制する者は世界を制す。アメリカの穀倉地帯の地下水は取り過ぎで時期に砂漠になる可能性もあり、農業人口の減少は危険であるが、大規模農業へと集約し、人口減少と合わせて、日本の自給率を上昇につなげることが必要であろう。
ちなみに、世界的に奇異なカロリーベースの食糧自給率38%ではなく、世界基準の生産価格ベース68%ある。
TPPが成立すれば、国産の高級食材は海外にもっと売れるようになるだろう。そして、貧乏になっていく日本人は安い輸入食材を食べるようになるのかな?
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独立トイレ
以前から同様に、微生物を利用したトイレはあったが、水洗で自前のタンクを持ち、メンテナンスフリー、かつ量産を前提としている。
700~800万とは非常に安い。公園には汚い、薄暗いトイレがあるが、これを設置すれば比較的簡単、安く設置でき、メンテナンスもいらない。もちろん、掃除の委託契約はいるだろうけど。
水も浄化して循環するため、初期の3tの水で補給は不要。
手を洗う水はどうするのか?気になるところで、HPのQ&Aを見ると、「人が直接触れる水は、トイレの洗浄水とは別に浄水をタンクに貯めてろ過して利用しています。雨水を再利用することも検討中です。」とある。
安心の設計である。
これなら、富士山にも設置が出来るのでは?登山客のあまりの多さに、富士山から流れる地下水はすでに大腸菌に汚染されていると聞いたことがある。ただ、一日300人では、いったいいくつ設置しなきゃならんのか。入山規制しか無いかな。
また、下水道の無い地域では、浄化槽の設置が義務づけているが、大量の水を必要とする。このシステムを家庭用に小型化すれば、売れるのでは?50~100万する浄化槽に対抗するには、まだまだ量産して、コスト削減をしないといけないが。
浄化槽の市場を奪うことができれば、これはデカい。
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次世代充電池「全固体電池」
現在、大容量の蓄電池と言えば、リチウムイオン電池が有名である。劣化や発火の問題もあるが、ずいぶん改善されているようである。
しかし、急速充電、大容量化といった、今後EVに必須な能力を秘めている「全固体電池」がまもなく製品化されそうだ。
大容量で安全かつ安価な電池が普及すると、自然エネルギーのようにいわゆる「汚い電気」が有効に活用できるようになる。
太陽光発電と大容量の蓄電池、排水処理する浄化槽。あとは井戸でも掘って浄化するれば、人口減少の社会で維持管理に多大な費用がかかる公共施設を減らすことができる。
行政が管理するのは、道路と災害対策とゴミ処理だけになる。かな?
蓄電池は社会構造を根こそぎ変える可能性がある。
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ドイツのEV
現在の内燃機関(エンジン)は、日本とドイツが圧倒的に強い。なので、ドイツを除くヨーロッパ諸国、中国はEVにシフトし、自動車産業の勢力図を変えようとしている。
内燃機関をやめ、EVにシフトしないと生き残れないといった論調が主力になっている。
もちろん、EVを作らなくてよいわけでは無いが、特に寒い地域(ヨーロッパ)では、内燃機関が必要では?燃費を考えれば、ディーゼルかハイブリットしか無いのでは?と思う。
なぜなら、寒い地域では、暖房が必要で、内燃機関では、排気熱を利用することが出来る。しかし、EVでは電気を大量に消費してしまう。そして、購入する人にとって、冬、吹雪に遭って身動きが取れなくなったとき、電池残量がみるみる減少する状況を想像したとき、長距離ドライブに使用する車にEVが主力になる可能性は少ない。
万が一を想像する能力があれば、自分と家族の命を環境のために、リスクにさらす人は、寒い国では少ないであろう。
当然、アメリカでも同様である。時々、日本では想像も出来ないような厳冬の年がある。
よって、内燃機関で無ければ、燃料電池(水素)にシフトしたのは間違いでは無い。まあ、内燃機関のままかハイブリットで問題はなかった。トヨタの戦略は間違ってはいなかったと思う。
日本でも、東日本や冬の雪山に行く人は、ドカ雪で閉ざされることを想像すると、EVの選択は、いつか凍死のニュースを聞くことになるだろう。だいたい、救援に行くにしても電池を持って行くのか?携行缶に燃料を持って救援は簡単だけど。
冷房は効率がよいので電気自動車の選択肢はあると思うので、暖かい国ではEVが普及するだろう。沖縄みたいに狭い地域なら、今の電池性能でも、価格が下がれば今でもEVが有利だと思う。
しかし、特に中国でEVシフトが進み、内燃機関が駆逐されそうである。それは、表向き、現在の大気汚染対策としてEVが有効としている。大気汚染の主な原因は石炭発電と工場の排煙で、最新の内燃機関は大気汚染に対してそんなに悪影響はないのではないか?
冷静に考えれば、エンジンが作れない中国が、日本の自動車産業をつぶす目的でEVシフトすることが理由と思う。
しかし、中国は電力供給が全く間に合っておらず、自動車を電気で動かすとますます効率の悪い石炭発電と危険な原子力発電、非効率な太陽光発電を大都市に向けて送電線でつなぐ努力が必要となる。
今後、自動車用電池生産が間に合わないことが予想されている。また、リチウムが足りない。大幅な電池記述のブレイクスルーが必要である。
問題山積のEVであるが、今更ドイツ以外の国で日本以上の内燃機関を作ることは出来ない。そうであれば、今後、30年は内燃機関に磨きをかけつつ、EVの技術革新を進めて行くことになるのかな?
取りあえず、日産のリーフみたいなコンパクトカー(セカンドカー)として、近隣移動用としてのEVは非常に相性がよいと思う。
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学ぶ
子供はしょうもないことをする。
本当にくだらないことをする。自分も今思えば、くだらないことをしてきた。今でも、失敗をして学んでいる。成長が無い。ざんねんである。
「失敗は成功の母」という言葉がある。
研究や発明は、ほぼ失敗の繰り返しから発見される。進んでいる方向が間違っていて、反対方向に転身して発見するなんてのもある。
成功者はあきらめない。
本当にしつこい。天才である必要は無い。成功するまで、続ける者が成功者である。
天才は人が歩んだ最高点まではすぐにたどり着くが、その後はしつこさが必要である。
子供が失敗をすると、後始末を自分でさせている。だんだん、失敗しなくなる。
しかってもだめ。代わりに後始末をしてもだめ。
経験は重要である。
失敗をさせよう。
そういえば、子供にお金をかけるなら、物を与えるよりは経験をさせる方が財産となると聞いたことがある。
出来るだけいろいろなことを経験させ、見せ、触れ、考えさせたいなあ。
結構大変だけど。
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兵器の国産
国産兵器は高い。
よく聞くフレーズだ。しかし、国産化することで国内で問題解決することができる。問題の原因も分かる。修理もすぐできる。一概に悪いとは言えない。
実際、韓国など修繕のための部品待ちで稼働しない兵器がたくさんある。稼働率で言ったら、高額になるライセンス生産している日本が圧倒的に高い。
ただし、これが鉄砲の弾なら、安かろう悪かろうの玉を大量に安く備蓄することは悪いことでは無い。
なので、国産はモノによる。
上記の国産対艦ミサイルはどうだろう。
安い速度の遅い従来のミサイルをたくさん購入した方がよいと言っている。全くその通りであるが、攻撃を受ける可能性がある国にとってはどうであろう。
ボクシングで、相手のジャブが2倍打ってくるボクサーと、いつキックが来るか分からないキックボクサーとの試合だとどちらが怖いだろうか。
ジャブの数が10倍なら分からないが、キックボクサーのほうが怖いのでは無いだろうか。これは、抑止力となる。
日本に戦車は不要という人がいる。しかし、戦車があると言うことは、侵略者も戦車に対抗する戦力が必要となる。これが抑止力である。
一方で、コストの問題があるのでなんでも導入すべきとは言えない。
金があるなら、100万円もする自転車を買えばよいが、なければママチャリを買う。移動するという点では、同じで、目的とコストを検討して購入すべきであろう。
ただ、抑止力、国家の存亡、日本の国力を考えれば、あってもよいのでは無かろうか。
近隣の国家が、イギリスと同じ対応をするか分からないが、数発しか無いアルゼンチン軍のフランス製対艦ミサイルを恐れ、フォークランドに近づけなかったことを考えれば、それが張り子の虎としても抑止力として役立つものと思う。
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再生可能エネルギーを学校給食に置き換えて
再生可能エネルギーは自由気ままな発電である。設備が増えれば、需要を超える量を発電することもあれば、全く足りないことが起こりうる。
再生可能エネルギー推進者は、理想の一日をもって説明する。慎重派は最悪の一日を理由に反対する。
なかなか理解しにくいので、イメージしにくいが聞いているうちに学校給食を思った。
電力供給を学校給食とした場合、再生可能エネルギーは地産地消、火力発電は輸入作物になろうか。学校給食を地産地消のみで行う場合、天候に左右され、長雨なら不作となる。作物ができなかったので、給食の量を減らすということになる。では、豊作の年に加工し、保存すればよい。これが蓄電池になる。しかし、どれだけ備蓄(蓄電池を用意)すればよいのか。それは、年にどのくらいの危機に備えればよいのか。天候は思い通りにならない。だから、地元以外の食料供給体制を整えておく。明日いると言っても間に合わない。きっと賛成派は、給食は我慢すればよい。豊作の時に大量に備蓄すればよいと言うのだろう。しかし、それは給食費(電気代)として跳ね返ってくる。
ところで、再生可能エネルギーのほとんどは、水力発電であることを知っているだろうか。てっきり太陽光発電と思っていないだろうか。
これは置いておいて、2番目に太陽光発電、そして風力がある。風が強い日は曇っていたり、風がない日は晴れていたりすることもあるが、年に5日程度両方全くない日がある。これは平均であり、いつ、需要に満たない日が1週間続くときもある。いったい何日分蓄電池を用意すれば安心できるのか?
ちなみに化石燃料は官民合わせて200日程度備蓄がある。
こうしてみると、将来的にタダ同然で、太陽電池または風力発電と蓄電池が供給できるようになれば、再生可能エネルギーに置き換わることであろう。しかし、50年に一度、地球規模の大噴火があれば、また、エネルギーを得ることができなくなる。
こうして考えると、国家を維持するエネルギーはバランスが大事である。
ベースを担う原子力、石炭火力を地熱発電に変えていく。LNGによる変動部分を担うミドル電力は蓄電池で変動を抑える。ピークをダム発電と太陽光発電で補うことで、対処することになるだろう。ただ、冬のピークは夕方なので、太陽光は冬役に立たない。
よって、太陽光と風力、一日分を調整する蓄電池を普及は、火力発電のバックアップできる範囲とするのが限界である。